虎年の獅子座 日記帳
Tora-Doshi'no Shishiza's Diary
人生初めての入院 (5) - 回復、退院、普段の生活へ
執筆日 : 2002/09/14
● 前回までで、「左腎下極に腫瘍あり。良性か悪性かの判断を含め、要精密検査」という診断から始まり、日本医科大学付属病院において精密検査、入院、そして手術を受けるまでを書きました。今回も続編です。
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● 左腎臓摘出手術は4月24日(水曜日)で、その直後の事までは前回書きました。麻酔を取り外し、立ち上がることが出来るようになったのが、4月26日(金曜日)午後。回復が早いと繰り返し言われて、調子に乗って(^^;廊下を歩く訓練を繰り返したのもこの頃。そして、4月27日(土曜日)に検査が一つあって、翌4月28日朝、ようやく点滴終了。この頃になると、さすがに点滴の針が少し痛くなり始めていた事(耐えられないほどではなかったけど・・・)、管が腕にくっついていると、何かと不自由な事などから、ホッと一息状態。
● 午前の回診で(日曜日だったけど、特別に診に来てくださった)、体内から余分な血液を抜く為につながっていたパイプを抜く。一瞬、「どんなものが体内に入っていたのだろう?」、「抜いたとたんに出血しないだろうか?」などと考えたものの、抜いて出てきたものはパイプとそれにつながる細い器具。出血は・・・良く考えてみると、出血しなくなったらから抜くわけで(^^;、正真正銘の杞憂だって事を自覚(^^;。
● ただ、他の傷口は曲がりなりにも縫合してあったものの、この傷口だけは縫っていないので、「多少、直りが遅くなります」との先生の言葉。わき腹の穴だったので、自分では非常に見難かったものの、鏡で確認すると、ボコッと陥没状態(^^;。先生いわく、「ここに肉芽が盛り上がってきます。そうなれば、もう大丈夫です。それまでは、毎日消毒しますから」との事。いずれにしろ、点滴とこの血液を抜く管がなくなった事で、やっとTシャツやらスウェットパンツがはけるようになり、着慣れない浴衣というか入院寝巻き状態から脱却。精神的にも随分と楽になりました。
● 考えてみれば、浴衣というか入院寝巻きとは良く出来たもので、日本の文化の便利さを改めて感じてしまいました。袖口は大きく開いているので、点滴の袋なんかも通しやすいし、わき腹などから管が出ていても、そんなに不便を感じることなく対応出来てしまうんです。一方で、洋服はそういうわけには行かない訳。もちろん、浴衣がそれを意識したという事はないでしょうが、日本的衣服の便利さを考えさせられた入院体験でもありました。
● さて、点滴を取り外した事で、ようやく少しまともな食事に移行。まだおかゆだったものの、おかずが付くようになり、点滴があったものの、腹には何も入っていない状態が続いていたので、一気に腹が減っているという事を自覚するようになりました。もちろん、入院食なんて大した量があるわけではないんですが、それでも毎度の食事が楽しみに待ち構える状態。まだ腹筋に力が入らない状態なので、起きあがったりに不便を感じる状態は続いていたものの、少しずつ普通の生活に慣らせるべく、色々な活動を自分でやる事に専念。
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● 4月29日(月曜日)。世間はゴールデン・ウィーク真っ盛り。入院生活も、この頃にはもう慣れてしまって、談話室に行けば他の患者さんにも顔見知りが増加。中にはもう入院生活6ヶ月なんて方もいて、ちょっと驚き。談話室までウロウロ来れる状態なのに、そこまで入院しているというのは、大変ストレスも溜まるだろうと感じてしまった。
● この頃、まだ歩行は相当危なっかしいものの、勇気を出して階段歩行にも挑戦。でも、これはすぐに看護婦さんに見付かってしまい、「まだちょっと・・・(^^;」とお手柔らかに制止されてしまった(^^;。仕方がないので、相変わらず廊下を行ったり来たりを再開。もちろん、ベッドの上でテレビを見たり、MDを聞いたり、本を読んだりはあったものの、どうしてもそれだけだと退屈してしまう。これだけ「やる事がない」という状態が続くと、少しでも気分転換しないと1日が長くて・・・(^^;。
● その過程で、ナースステーションに体重計が置いてある事を発見。「ちょっと乗ってみて良いですか?」と聞いてみると、どうぞとの答え。乗って見たところ、これが結構ショッキングでした。入院直前には、体重が67キロ程度あったのが、なんと、59キロ弱。自分でも、「太ももとか腕などがえらく細くなったなぁ〜」とは感じていたものの、ここまで体重が落ちているとは認識していませんでした。なんと8キロでっせ・・・。体重120キロからの8キロではなく、体重67キロからの8キロ。その後、改めて鏡で自分の姿を見てみると、特に足が滅茶苦茶細くなっていた。カモシカのようと言えば聞こえは良いものの、どちらかと言えば、ガリガリという状態。「こりゃあ、本格的にリハビリしないと、体力ががた落ちやろうなぁ〜」と情けなく思いながらも、廊下を行ったり来たり。たまには、病院の売店まで(別の館の地下にあった)探検遠出(^^;。
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● この頃から、職場の仲間、そして普段はライバルになる同業他社のトレーダー連中、営業マン連中、陸離倶楽部のママなど、が続々と見舞いに来てくれる。ベッド周りが花でいっぱいになり、一気に華やかに!ほとんどが夕方から夜にかけての時間帯。日本医科大学付属病院では、見舞いは午後7時までと決まっていたけど、そのギリギリまで「来客」が多くて、嬉しかった。何よりも、病室が賑やかになるし、話題も豊富になるし・・・。そして、「早く復帰しなければ・・・」と焦りではなく、前向きの元気が出てくるのを自覚。これが一番の薬になったような気がします。「おまえ、はよぉ戻ってこいやぁ〜」と言ってくれるだけで、どれだけ元気が出たことか。
● 5月2日(木曜日)午後に抜糸。これで、ほとんど病人状態からは脱却したと自分では認識していたものの、まだ退院OKはなし。抜糸は、主治医の先生の上司にあたる助教授にやってもらったのだが、この先生がまた面白い先生で、「米国の病院だったら、もう退院なんですけどねぇ〜」と一言。この辺、まだ日米の考え方の差があるのかもしれません。まだ傷口の消毒は毎日の日課で、抜糸後も、当然、消毒作業。段々これにも慣れてきて、先生に「シャワーはいつ頃できそうですか」と聞いてみたところ、「あと数日内に可能だと思いますよ」との答え。とにかく早く直れと念じながら過ごす。
● 腹筋はまだ力が入らないものの、その状態にも慣れてきて、今度は看護婦さんに「許可」を得て、階段トレーニング開始。最初は手すりに掴まりながらゆっくりやっていたが、すぐに元の勘を取り戻して、かなり自由に上下出来るようになった。病室が8階だったので、地上との往復を2〜3回をワンクールにして実施。なんでこの程度だったかと言うと、やはり相当体力が落ちていて、3回往復すると、もう足はガクガク状態。俗に言う「ひざが笑う」って状態になってしまうのです。で、仕方なくその後1時間ほどベッドで休憩。やる気が出てくると、あとワンクール、って感じでやりました。でも、最初は1日に2クールが精一杯。本当に体力が落ちたなぁ〜と実感してしまいました。
● 一度、「走る事って出来るんだろうか?」と思って、走りかけたのですが、これは駄目でした(^^;。やっぱり腹筋が十分に使えないという事は、ゆっくりと歩く事は出来ても、ダッシュとかは出来ない事を自覚。改めて腹筋の大事さを痛感したものです。
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● 5月4日(土曜日)。ついに先生からシャワーOKの許可。ただし、まだ傷口が完全にふさがったわけではないので、その部分に、「防水絆創膏」を貼って、そしてシャワーを浴びることに。看護婦さんにその「防水絆創膏」を傷口の上に貼ってもらい、準備完了。当然のように「傷口の上はゴシゴシとこすらないで下さい」との注意。本当に久しぶりだったので、たっぷりとシャワーを楽しんで、ようやく生き返った気分に(^o^)。もちろん、顔などは洗っていたけど、それでも、全身にシャワーを浴びる事が出来るというのは、これほど幸せだとは思わなかった(^^;。
● 5月5日(日曜日)でこどもの日。世間はゴールデン・ウィーク真っ只中。この日は意を決して外出許可を取って、一時的に自宅へ戻った。色々とやらなければいけない事があったのに加えて、退院を見据えて、不要になったモノを持ち帰ったりする為。一人で色々なことをやろうとすると、何事も先を見据えてやらなければいけないので、そんな事を考えながら一時帰宅。この頃には、もう服用している薬もなく、とにかくベッドで療養と傷口の消毒が目的で入院していた感じだったので、一度、体力的にも外出をトライする気持ちになっていた。
● 主治医の先生からの許可をもらって、午前10時前に病院脱出(^^;。「シャバの空気はえぇのぉ〜(^^;」と痛感しつつ、自宅へ。午後4時過ぎには病院に戻ったものの、天気が良かった事もあり、充実した1日だった。その一方で、やはり体力低下は感じざるを得ず、普段は歩いていて人を追い抜く事が通常で、追い抜かれる事はなかったけど、その逆の立場になってしまったことを痛感。さらに、体重がかなり落ちてしまっていて、そのせいで、入院時にはいていたジーンズがブカブカ(^^;。これはまいった。自宅で、学生時代にはいていたジーンズを引っ張りだすと、これがぴったり!すごいもんだと実感してしまった。
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● 5月7日(火曜日)。世間はゴールデン・ウィーク明け。そろそろ退院したいとの気持ちはあったが、まだOKはなし。摘出した腎臓の生体検査結果が戻ってこない事で、それを見てからという判断が先生方にある様子。ただ、こちらとしては、「やる事がない」状態も結構きつく感じている事もあり、さらに、体力をもっと回復させたいとの意識があり、もっと重要なことには、早く職場復帰したいとの意識があって、とにかく退院したくして仕方ない状態になってしまいました。見舞いに来てくれる同僚などは、「ええチャンスやねんから、休んでおけ」と言ってくれるものの、こちらは全く逆の気分。日々の戦場から"一時休暇"取っている私が羨ましく思えるのかもしれないものの、私からみれば全く逆。早く戦場復帰したくて仕方ない状態でした。
● 5月8日(水曜日)。夕方の回診で、先生から、「本人も退院したがっているし、検査結果は戻ってきていないけど、金曜日退院と言う事にしましょうか」と提案。私はもちろん、「お願い致します」と即答(^o^)。既に薬も何も飲んでないし、食事も1600キロカロリーの普通食に戻ってしばらく経っているので、普通の自宅での「療養」に戻っても、特に不自由は感じないはず。
● ただ、血液を抜く管がつながっていた傷口はかさぶたが出来始めたばかりで、肉芽が盛り上がり始めているとはいうものの、ボコンという感じの段差は残ったまま。この点について、先生は、「シャワーはOKですが、まだ水圧の掛かる風呂は止めておいたほうが良いでしょう」との見解。これが平らになってきたら風呂もOKと言う事で納得。
● 5月9日(木曜日)。もう気分は完全に退院状態(^o^)。身辺整理をして、明日の朝は手続き終了後すぐに出発できるように準備する。
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● 5月10日(金曜日)朝。病院での最後の食事を結構楽しんで(本当に・・・最近の病院食は決して悪くないと思う)、退院の為の手続きに向かう。普段の歩行では特に不便を感じない程度に回復していたので、これはもうOK。特に出迎えの人々はいないので、全て自分で対処する必要があるため、ある程度、段取りを考えておく。
● ナースステーションから、必要書類を受け取り、会計に向かう。他の病院の場合は知らないが、クレジットカードを使えないので、全て現金で支払う必要がある。当然、病室にいる間はそんな現金を抱えているわけはないので、病院内にあるATMから、必要分の現金を引き出す。必要分と言っても、30ウン万円にもなるので、ちょっとした金額。書類と現金を持って会計に行き、領収書と退院手続き完了書なるものにハンコを押してもらう。この「費用はちゃんと支払いました」書を再びナースステーションに持ちかえって、それで手続き完了。
● 担当してくれた看護婦の方々は、ローテーションで担当だったので、実は毎日変わっていました。日勤・夜勤のシフトの都合で挨拶できなかった人々もいたのですが、とにかく、長い間世話になったので、心からお礼を言う。今回の入院で感じた事の一つは、やはり看護婦の方々の働き具合。私は、比較的手間隙が掛からない患者だったと思うが、それでも、彼女達の手助けがなければ出来ない事はかなりあった。他にも、患者を持ち上げたり手助けしたり、下々の世話をしたりと、なかなか出来る事ではありません。金で解決するべき問題でないのは理解していますが、彼女達の給与水準を考えると、やはり何かシステムがうまく行っていない面があることを感じてしまいました。
● 昼前には、病院を退出。4月20日の入院から5月10日まで、ちょうど3週間の入院。手術後2週間半が経過していました。
● 本格的に勤務を再開したのは、翌週5月15日(水曜日)。この日から戦場復帰。一部の親しい顧客は今回の件を全て伝えていましたが、そういった顧客を中心に復帰の報告。「全然、以前と変わっていませんねぇ〜」という顧客の言葉が妙に嬉しかった事を良く覚えています(^o^)。
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● 実はこれで終わりではなく、5月16日(木曜日)に再び日本医科大学付属病院を来訪。検査結果についての最終診断を聞くことと、各種保険の申請用に診断書を書いていただく為。ここで、私の病名が、正式に病理学的組織検査において、「左腎細胞癌」と確定。ずっと分かっていた事でしたので、特に感慨はなし。逆に、「これでガン保険から入院給付金が出る・・・」と不謹慎な事を考えておりました(^^;。
● 主治医の先生から、「今後、定期的に検査を受けてください。転移の可能性は低いと考えていますが、可能性はゼロではありません。万が一、転移があったとしても、それを早期に発見する為です」とのこと。最初は毎月、その後3ヶ月おき、そして半年おき、1年おきという感じで頻度を延ばしていく予定。ただし、「今後一生、毎年の検査は欠かせないと考えて下さい」との言葉。私としても、当然、リスクを極力排除する為の検査は当然だと思っていたので、もちろん同意。
● これで一連の入院に関する直接的な日記は終わりです。でも、今回の一連の入院で、色々な事を感じ、また学んだのですが、特に保険(医療保険など)については、非常に考える所が多かった入院です。これについて、もう一編だけ、後日追加して書くことにしたいです。
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